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心のひきこもり

保険の先生への思い出話と呪い

今週のお題「思い出の先生」

私はよく保健室に行っていた。
小学校中学校の普通の子と比べれば、行くのは多い方だったと思う。
高校に関しては思春期を痛めすぎて、保健室よりも病院に行くような感じだったので、数にはいれないでおく。

保険の先生は基本的に怖かった。
これまで一度も美人で怪しげな、白いスカートから生足が覗く、大人のお姉さんなんて先生は見た事もないし、
大概は勝手に集まって来るサボりどもを無理やりたたき出すだけの強さを持ったオバサンばかりだった。
それはいかにも古風な、母の強さという感じだ。
トイレ用具を二人で取りに来た女子には出直してこいと追い返し、定規飛ばして遊ぶやんちゃ男子はひっぱたかれた。
たまに生徒たちから漫画を集めてこさせると、漫画はよくないものだと言い聞かせる授業を行い、
歯を削るだけだから歯磨き粉は使うなと言いきり、食べ物の食べるべき場所や飲み物についても大変うるさいことをいう。
でも、当時の私としては、あまり先生の言い方には納得いっていなかった。
なんだか、気に入らないものを排除する、うまい言い訳を掴んでるのだなあと思ったものだ。

思春期の子供の中には、大勢の中で同じように行動しなければならない学校の授業自体にタジタジになって逃げ込む子供も多かったはずなのだ。
とりあえず私はそうだったから、他にもきっと同じ思いをしている人はいるはずだと無理やりにそう考えていた。
なんというか…その場のノリについていけないのだ。
そのくらい我慢してなんぼ、と言われてしまうこともよく解っていたし、
それでも、抱え込んだ弱さはどこにも開くところがなく、自分を責めるより他はなかった。
そんな事などおかまいなしに、保険の先生はいつでも根性論をつきつけた。
単純な不良のほうに構うことに必死だったんだろう。
あくまで「おりこうさん」でいたかっただんまりの私の事など、無害な置物としか感知していなかっただろう。
そんなところに頼ろうとし続けたから、私の学校時代の思い出など、灰色にすすけるほどカビの生えたコッペパンのように陳腐なものとしてしか記憶できていない。

そんな感じなので、保険の先生というのにあまり良い思い出がなく、
そして良い思い出がないという事で思い出にいつまでも残っているのだ。

世代は変わって、最近の保険の先生はどうなのだろうか。
強いおばちゃんはまだ生きているだろうか。
それとも、親子供が切願してやまない美人で大人の授業を手とり足とりしてくれるような先生もついに現れたのだろうか。
だけど、どの世代になっても、私のようなだんまりおりこうさんをどうにかできた人なんかいなかったはずだ、と、自分に言い聞かせている。
仕事っていうのは大変なんだ。人の悩みまで、等身大で引き受けていたら潰れてしまって、他の人を助けられなくなってしまう。

助けが欲しい思春期の子供たちに、保健室はきっとふさわしくない。
とりあえず、病院のカウンセリングの予約とって、バカになるほど喋ってみたほうが良い。
自分の頭の整理ができるし、今後のためになるから。