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心のひきこもり

思い付きの独り言

毎日、テレビからは安保条約についてのにぎやかな報道が流れている。

他人ごとのようにしていてはいけないような気はするのだけど、強行手段をとったほうもあれだが反対派もなんだかどっちもどっちで結局力押しで、内容の重要性がいまいち理解しづらい。

あれがいいこれがいいともめる子供の喧嘩を見ている気分になる。

国民であればどちらかに味方するべきと言われると困ってしまう。

いっそ、少数派は集まって喚くしかないというのなら、国会前のお祭り騒ぎのノリで何か儀式でもしてみるのはどうか。

総理に悪魔が憑いてる可能性も捨てきれない。

三日三晩国会を取り囲んで踊っていれば、今よりは何か変化があるかも。なんて。

 

 

見たものに感激する気持ち

最近はよく、特に目的も持たずにぶらぶらと近所を散歩する。
最近じゃなくても、元々そういう趣味があるので昔からそうしている。
景色が動くと、それにつられて頭も回転するような気がするからだ。
本当は誰かが運転してくれる乗り物に乗ってぽけーっとしているのが一番好きだが、それには人とか金とかがかかってくるわけなので、とりあえず自分についている足で歩いている。

そういう事をしていると、ふと景色の中に何かを見つけ出す事がある。
いつも見ているはずのもののはずなのに、まるでその瞬間にそこに現れたかのように、突然気を引くものが出現する。
たとえば、枯れたアジサイの花がきれいに繊維だけ残して干からびているのを見つけて虫の羽のようだと感激したり、
知らない人の家の庭のアロエが邪悪な妖精に見えたり、
ふっと振り返ったところの垣根から蛇がひょっこり顔だけ出している・・・とかいうこともある。
まあ、その時ちょっとした驚きとか、感情の波を呼び起こす出来事ばかりだ。
子供の頃はこういう事で一々はしゃいでは、友達だの親だのに必死で説明していたし、思うほど共感してもらえなければ拗ねてしまったりもしたような気がする。

いつからそんな気持ちは失せていったんだろう?と、そんな事を考えた。
今私はツイッターをやっていて、日ごろのしょーもない思い付きとか、目の前に現れる情報に対する意見を書きこんだりとかするわけだけど、散歩していて見つけた花の話なんかしたことはない。
ましてや、それを「憶えた感情の記憶」というフォルダの中の、「感激」と分類されるフォルダ内にも入れてはいない気がする。
外側にぽいっと、ゴミのように放置するのだ。
時にはゴミ箱に捨てることもある。「悪い感情」の時は大体その感情自体を存在させまいとする。
「このへんクサイなあ。○○の体臭みたい」のような不謹慎なやつとか、「あ、これは妖精だ」とかいう、ちょっと幼くて直球な表現とか。
そういうあからさまに頭のフィルタ通ってないのはすぐさまゴミ箱行き。表に出ることがあってはいけない感覚だ。
感覚は感情を呼び起こし、感情は自己顕示欲を呼び起こす。それが解るからこそ、大きくなる前に封じ込めてしまいたくなる。

だけど、それって本当に良いことなのだろうか。
どんな事でも自分が感じた感覚を否定すると、とても不安になる。
そんな感覚を持っている自分自身は間違った常識で生きているのではないかと思うからだ。
もしかしたら、周りにものすごい迷惑をかけているかもしれない。
そう思い始めたら止まらなくなる。
けれど、大人になるっていうのは、「頭のフィルタ」を通して生きていくことができる事だ。
思った事全部口に出してる人間を、人は「大人」なんて言わない。
「大人になりたくない」という人の中には、そういう周囲に定規を押し付けられるような不自由さへの反発だけで生きている人もいるかもしれない。

でも私は別に大人を悪いものとは思わない。
ただ、何か寂しいのだ。
本当は否定しちゃいけないものを否定しているような気がするのだ。
そんな事しなくても、大人にはなれるような気がするのだ。
周りに暴力を振るわなくたって、自由な感覚でいられるような。
誰も傷つけない事は無理だけど、自分に自信が持てるような・・・。

でもそれも感覚の話。
そういう気がするだけで、まだそう言い切ることもできていない。
少なくとも、私の周囲の環境はそれを許さない「気がしている」。
そう感じている限り、私は環境を鉄の鎖として引きずっていくのだろう。
鎖に鍵はついていない。その存在を消す他には、自由になれはしない。

保険の先生への思い出話と呪い

今週のお題「思い出の先生」

私はよく保健室に行っていた。
小学校中学校の普通の子と比べれば、行くのは多い方だったと思う。
高校に関しては思春期を痛めすぎて、保健室よりも病院に行くような感じだったので、数にはいれないでおく。

保険の先生は基本的に怖かった。
これまで一度も美人で怪しげな、白いスカートから生足が覗く、大人のお姉さんなんて先生は見た事もないし、
大概は勝手に集まって来るサボりどもを無理やりたたき出すだけの強さを持ったオバサンばかりだった。
それはいかにも古風な、母の強さという感じだ。
トイレ用具を二人で取りに来た女子には出直してこいと追い返し、定規飛ばして遊ぶやんちゃ男子はひっぱたかれた。
たまに生徒たちから漫画を集めてこさせると、漫画はよくないものだと言い聞かせる授業を行い、
歯を削るだけだから歯磨き粉は使うなと言いきり、食べ物の食べるべき場所や飲み物についても大変うるさいことをいう。
でも、当時の私としては、あまり先生の言い方には納得いっていなかった。
なんだか、気に入らないものを排除する、うまい言い訳を掴んでるのだなあと思ったものだ。

思春期の子供の中には、大勢の中で同じように行動しなければならない学校の授業自体にタジタジになって逃げ込む子供も多かったはずなのだ。
とりあえず私はそうだったから、他にもきっと同じ思いをしている人はいるはずだと無理やりにそう考えていた。
なんというか…その場のノリについていけないのだ。
そのくらい我慢してなんぼ、と言われてしまうこともよく解っていたし、
それでも、抱え込んだ弱さはどこにも開くところがなく、自分を責めるより他はなかった。
そんな事などおかまいなしに、保険の先生はいつでも根性論をつきつけた。
単純な不良のほうに構うことに必死だったんだろう。
あくまで「おりこうさん」でいたかっただんまりの私の事など、無害な置物としか感知していなかっただろう。
そんなところに頼ろうとし続けたから、私の学校時代の思い出など、灰色にすすけるほどカビの生えたコッペパンのように陳腐なものとしてしか記憶できていない。

そんな感じなので、保険の先生というのにあまり良い思い出がなく、
そして良い思い出がないという事で思い出にいつまでも残っているのだ。

世代は変わって、最近の保険の先生はどうなのだろうか。
強いおばちゃんはまだ生きているだろうか。
それとも、親子供が切願してやまない美人で大人の授業を手とり足とりしてくれるような先生もついに現れたのだろうか。
だけど、どの世代になっても、私のようなだんまりおりこうさんをどうにかできた人なんかいなかったはずだ、と、自分に言い聞かせている。
仕事っていうのは大変なんだ。人の悩みまで、等身大で引き受けていたら潰れてしまって、他の人を助けられなくなってしまう。

助けが欲しい思春期の子供たちに、保健室はきっとふさわしくない。
とりあえず、病院のカウンセリングの予約とって、バカになるほど喋ってみたほうが良い。
自分の頭の整理ができるし、今後のためになるから。